徳島県には「四国の右下」と呼ばれるエリアがあります。そのなかにある、美波町の日和佐(ひわさ)には、四国八十八カ所霊場の薬王寺があり、ウミガメの産卵地としても知られています。また、県内最大の秋まつりが有名で、「ちょうさ」という太鼓屋台が海へ飛び込む姿は圧巻です。
2021年から、一般社団法人 四国の右下観光局と一緒に、文化や産業を次世代に残す取り組みをはじめた、祭エンジンのメンバーたち。祭エンジンは、一般社団法人 明日襷とFICCが協業して行う、地域の祭りを支える人と応援したい人をつなげるプロジェクトです。
2022年11月に、四国の右下観光局 事務局長の藤井康弘さん、明日襷 代表の宮田宣也さん、FICCからはメディア・プロモーション事業部 京都のプロデューサーである伊藤里加子の鼎談を企画。なぜ徳島で取り組みをはじめることとなったのか、民間団体と企業が一緒に取り組む意味、それぞれの立場から見る地域と祭り、関係人口や地域づくりなど、3名が出会いを振り返りながら語ります。
それぞれの立場から“地域”と関わる
──まず、四国の右下観光局について教えてください。
藤井:われわれは、徳島県の南部エリアの広域観光を行う「観光地域づくり法人」、いわゆる観光庁の登録を受けた「地域連携DMO」と言われる民間団体です。
観光業は、宿泊業や飲食業など、いろんな方がいて成り立っています。もちろん、祭りや伝統芸能を守り続けてくれている人もそうです。少子高齢化もあり、産業・歴史文化・伝統芸能を未来につなぐ“地域づくり”をしていかないと、観光産業自体が成り立ちません。その地域の観光に携わる人たちの「想い」を未来につなげて、より大きく発展させていく、それが「観光地域づくり」なんです。
──伊藤さんと宮田さんは『祭エンジン』で活動されていますよね。立ち上げから3年、両社がパートナーとして取り組むきっかけについて教えてください。
宮田:僕は、祖父が神輿職人ということもあって、昔から各地の祭りに行っていたんです。ある日「祭りを再開させたい」という相談を受けて、小さな集落に、御神輿を担ぎに行きました。そこは元々過疎地域でしたが、震災をきっかけに人が都市部に移動してしまい、さらに人口が減少して祭り再開の目処が立たなくなってしまった場所でした。久しぶりに御神輿が動くのを見て涙している人、震災で亡くなった方の遺影を持ってきて祈りを捧げている人、そんな風景にすごく感動して。「祭りには地域の力を蘇らせるパワーがある」ということを目の当たりにしました。
過疎化や高齢化で、このままでは祭りの灯火はいつか消えてしまうかもしれない……。でも僕たちが手伝うことで、地域を盛り上げられるかもしれない。そこに役割を感じたんです。そこから、仲間を集めていき、いまの『祭エンジン』のプロジェクトへとつながっていきました。
伊藤:宮田さんと出会ったのは、ちょうどFICC京都が「地域に貢献できるチームになろう」と、ビジョンを掲げていた年でした。どうやって取り組むか糸口が見つからなかった時、「祭りを通じて地域を盛り上げることができるかもしれない」と宮田さんから聞いて「私がやりたいのはこれだ!」と思ったのが、FICCがパートナー企業になったきっかけでした。
FICCでは、プロジェクトオーナーである宮田さんの想いを伝えるために、祭エンジンのサイト制作やSNS運営のサポートなどを行っています。
──ではどうやって、この徳島の四国の右下観光局とつながったのでしょうか?
伊藤:私は、一般社団法人サステナブル・ビジネス・ハブという組織にも所属していて。そこの理事をしている、株式会社パソナJOB HUBの加藤さんが祭エンジンの活動に興味を持ってくださったんです。一緒に来てほしい地域があるんだ、と声をかけていただき、藤井さんたちと出会いました。
──その当時、四国の右下では地域課題解決型のワーケーションを企画していたんですよね。それはなぜでしょう?
藤井:実は最初はあまりワーケーションには興味がなかったんですよ(笑)。ただ、後世に残したい文化や産業っていろいろあって。例えば、この地域にある炭窯は、今守っているおじいちゃんがいなくなってしまうと消えてしまうんです。宮田さんの言う祭りもそうですよね。そういうものを知ってほしいし、次の世代につなげていきたい。この地域に関わった時から個人的に思っていたことです。
地域外の人に個人的に関わってもらうのは時間がかかる。それだったら、企業の研修や大学のゼミ合宿のような継続できるプログラムのひとつとして、地元の祭りをテーマに含めたいと思ったんです。それで、以前から深い付き合いのある加藤さんとワーケーションを企画するなかで、力になってくれそうな人として紹介いただいたのが、伊藤さんと宮田さんでした。
伊藤:それでFICCでも、モニターという形でワーケーションに参加させていただいたんですよね。
藤井:そうですね。FICCの方々には何回も来てもらってますね(笑)。
祭りを次世代に残す、祭エンジンの活動へとシフトしていく
伊藤:最初に徳島に来たときのことが一番印象に残っていて。自己紹介をしたときに、「祭りのことを仕事でやっているんですか?」とすごく興味を持って話を聞いてくれたんです。
藤井:そんな活動している人たちが存在していることにびっくりしましたね。
伊藤:そうでしたね(笑)。この日和佐には、200年以上続く日和佐八幡神社の秋まつりがあります。その開催を行う、日和佐ちょうさ保存会の方が「自分たちが楽しむだけでなくて、未来につなげていくことを考えている。そのためにこんなチャレンジをしてきたんだ」とプレゼンをしてくれたんです。この想いの強さが、宮田さんと同じで。絶対に宮田さんに会わせたいと思って、次の日に関東から徳島に来てもらって紹介しました。
宮田:はじめて日和佐にきて、保存会の人たちとお話ししたときに覚えているのは、どこへ行っても同じだ、ということです。それは悪い意味ではなくて、同じ想いで祭りをやっている仲間たちがここにもいた嬉しさだったんです。
そういう想いが日本の祭りを支えていく一番大きなエネルギーになっていくはず。でも、欲を言えばそれだけじゃ駄目だとも思っています。だから、藤井さんのような立場の方に力を貸してもらいながら、いろんな角度から情報を集めて、みんなで次世代に祭りを届けるという大きなテーマに向かっていくことが必要です。
この時代、消えようとしている祭りもあると同時に、それをここまで届けてきた人がいたことも確かで。受け継いだこの祭りという素晴らしい文化を、もっと素晴らしいものにして次に渡したい気持ちがあります。それが僕たちの役割なんです。
──取り組みははじまったばかりですが、この徳島でどんなことをやってきたのでしょうか?
藤井:まずは、地域の人との交流をしてもらい現状を知ってもらいました。住んでいる人のなかには地元のために活動している人たちもいます。でも、やはりひとりの力では限界がある。祭エンジンさん、FICCのみなさんという仲間が増えるのは、我々としても地元の人としても非常に頼もしく思っているんです。
みなさんがパートナーになってくれたことで、地域の人たちにも活動の裾野が広がりつつあります。さまざまな分野で活躍されている地域のみなさんや神社・祭りの関係者の人たちと話をする機会も増えました。我々だけだったら、このスピード感では動けなかったんじゃないかなと。
この日和佐は元々、薬王寺もあってウミガメもいたりと観光で生きてきた町です。地域外の人と触れ合い話をすることで、自分たちの住んでいる地域の良さを振り返ることができます。そういう意味で、僕自身も良い刺激をもらっています。
宮田:この地域が、全国の祭りに関わる人たちから応援される取っ掛かりになるよう、祭エンジンの仕組みを利用したコンテンツ※を制作させていただきました。この地域の名産品を購入すると、売上の一部が神社や祭の団体に寄付され、祭りのために使われるという仕組みです。
ここでプロジェクトをやっているからこそ、出会えなかった人にも出会えただけでなく、みんなで同じ方向を向くことができたのは大きな財産です。
※実際に制作・取材したコンテンツはこちら
日本の祭りを徳島から世界へ
──現在は、日本の祭りをテーマに国際的な大規模祭典「祭トリエンナーレ」という構想があるとか。その開催候補地に、徳島県が挙がっているそうですね。
宮田:世界中の祭りには、その土地で信仰される神様に対する祈りの形として共通したものがありますよね。日本は祭り大国として、世界のみんなが交流できるような拠点となるような祭典を行いたい、という相談をいただいたんです。
話を聞く中で、その開催地は徳島がいいんじゃないかなと思って。直感ですが(笑)。でも、その直感が確信に変わっていくというという感覚はありました。山や川などの自然に対して感謝や祈りを捧げる祭りって、世界中にあるはず。そういう場所がこの徳島には全部あって、ここの人たちは自然と密接に生きているんです。
祭トリエンナーレは大きな構想ですが、藤井さんに相談したところ、まずは小さくても2025年の大阪・関西万博で祭りをテーマにした国際的なイベントができると良いのでは、という案を話してくれました。小さな祭りを復活させる可能性につながるかもしれないということで、藤井さんたちと発案者をつなげさせてもらいました。
藤井:最初は「トリエンナーレってなに?」ってなりました(笑)。でも、この地域でやりたいと言っていただけるのは非常にありがたいですし、この地域の取り組みが他の地域にも波及していったらいいなと。
2025年の万博では、徳島県も大阪の会場にパビリオンを設けます。そのパビリオンを入り口として、祭りをメインコンテンツにした「右下のリアルパビリオン」に足を運んでもらえる仕掛けをしていこうと考えています。今後は、徳島県庁や地元の自治体、祭りをやっている地域の人たちも巻き込んで、みなさんと話をしていかないといけませんね。
宮田:トリエンナーレの言葉が先行しているんですけど、僕たちは地域の祭りを元気にするために現実的にできることを考えていくだけです。それがつながっていった先にトリエンナーレが実現していくかもしれない。まずは一歩踏み出さないと。
この間、ヨーロッパのブルガリアで御神輿をあげてきたんですけど、そこでつながった人たちに、万博に合わせて徳島で祭りをやりましょう!と言えば、来てくれる可能性もある。国際的な取り組みが祭りにつながるのは非常に新しいことだし、さらに徳島も注目される。可能性を広げていくことは、どんどんやっていきたいですね。
日本に自信と誇りを取り戻したい
──最後に、今後実現したいことはありますか?
宮田:ずっと守り続けてきた祭りには大きな価値がありますし、祭りに関わる人たちにとって、立ち返る存在です。地域の人たちだけで守れないとするのであれば、日本全体、もっと言えば世界全体で守っていかなければいけないものにしていくべきです。
日本全体で応援しながらつながって、さらには世界中に日本の祭りのファンを増やして、みんなで支えていく、という構造をつくりたいと思っているんですよね。デジタルとリアルの双方で世界中の人たちが集まって祭りを守っていける仕組みをつくることが次の時代の遺産になるんじゃないでしょうか。そうやって誰かが本気で守る取り組みをしないと、なくなってしまう、なくなってしまった祭りもあったと思う。僕は祭りが好きだし、そういう人が増えていってほしい、そんな風に思っています。
伊藤:祭エンジンとしてはもちろん個人としても、ずっとこの場所に関わり続けたいと思っています。日々、関係人口や地域づくりについて調べたりするんですが、実際に行くことが一番の勉強になりますね。徳島県に対して自分が関係人口になれているのかなとか、何をすれば遠くに住んでいても役に立てるかな、といつも自分ごとで考えるきっかけをもらっています。
出会う人がどんどん増えていっているので、次のステップとしては、想いがつながった人同士が、たまにではなくいつでも相談しあえる、そんな環境を相談しながらつくっていきたいです。私も国内や海外で御神輿を担いで、表情の変わる人を見てきました。物理的に行くのは、早くて一年に一回、3年に一回になるかもしれない。その間祭りへの想いを途切れさせないために、四国の右下にいる美波町(の日和佐)や海陽町の祭に人生をかけるみなさんを中心に、祭りへの想いを集め、日々触れ続けることができる環境をつくることで、仲間がどんどん増えていく。そうすればトリエンナーレやいろんな展望ができてきたときに、本当に実現できるんじゃないかなって思うんですよ。
藤井:日本の経済はバブル崩壊から低迷していて、世界的に見ても相手にされない時代になっていますよね。「日本にはこんなにいいものがあるよ、素晴らしい人たちがいるんだよ」と胸を張って言えなくなっている人もいると思います。この田舎ではもっとその意識が強いかもしれません。
伊藤さんの関係人口の話もそうなんですけども、地域外の方が関わってくれることで、この地域をみんなが再認識できるんです。この地域に対する自信と誇りを取り戻していけたらいいと思っています。
そういった想いを持ってもらうためには、この地域がどんな地域でどんな文化や産業があるのか、祭りはこの地域で大事にされてきていて、先代から引き継がれてきた地域なんだ、ということをしっかり伝えていくことが何より大切です。生き字引のような、じいちゃんばあちゃんもいなくなっていくなかで、この地域が歩んできた足跡を未来に残せるよう形をつくっていきたい。
祭りをきっかけに地域から元気になって、日本全体が自信と誇りを取り戻す。その先導を、四国の右下が担っていけたらと思っています。当然、我々だけでは限りがあるので、祭エンジンさん然りFICCのみなさん、そしてこれから関わってくれる人、みなさんと一緒に頑張っていきたいです。
執筆:深澤枝里子(FICC) / 撮影:山崎 一平(HWS STUDIO)